北海道を代表する自殺スポット
北海道を代表する自殺スポット
地球岬という名で定着したが、『地球』はここを指す地名ではない。
本来の名称の元となったのは、「ポロ・チケップ」。
アイヌ語である。
『ポロ』は「大きい」、『ポン』は「小さい」といった意味。
『チケップ』は「崖」
北海道の海岸地域の訛りが微妙に呼び名を変化させ、最終的に「チケウ」と呼ばれていた時期に、地球という字をあてた。
死を呼ぶ断崖絶壁
多くの自殺者を呼ぶ地球岬の断崖絶壁。
日本を代表する飛び降り自殺スポットである、東尋坊に似た地形。
この周辺で発見される死体の多くは、目が大きく開かれているという。
意を決して飛び降りるものの、落下中に死への恐怖が頭をよぎるのだろう。
室蘭は地形上、大きな半島になっている。
絵鞆半島(えともはんとう)と呼ばれている。
その絵鞆半島の南部海岸沿いは、巨大心霊スポットとなり多くの死者を呼び寄せている。
大きな負のエネルギーが渦巻いている。
地球岬からはじまり、そこから北東のイタンキ浜あたり一体が心霊スポットとなっている。
イタンキ浜ではかつて、大量の白骨死体が発掘されていた。
イタンキ浜の多くの死霊
1954年10月にイタンキ浜で125名にもおよぶ遺骨が見つかった。
これらの遺骨は、戦時中に捕虜となり、室蘭市内の製鉄所や港湾で強制労働(タコ部屋労働)に従事していた中国人のものであった。
当時日本全国で、「日本で亡くなった中国人の遺骨を返還しよう」という中国人強制連行者の遺骨収集送還運動というのが起こっていた。
それに合わせて、室蘭市では関係者の証言をもとにイタンキ浜で発掘が行なわれた。
掘り起こされた遺体は、屍をその辺に適当に埋めただけのもである。
投棄されてから数年しか経過していないため、非常に生々しい死体が多かった。
中にはまだ、髪の毛が生えているものもあった。
より深く調べていくと、頭蓋骨にヒビが入ったもの、銃弾による穴の開いたものなど、明らかに拷問により虐殺された遺骨が多数あった。
当時の室蘭市には1855名もの中国人が強制連行されており、室蘭市では1年間に約3分の1である564人が亡くなった。
全国的に見ても、室蘭での死者の割合が異常に多い。
室蘭鉄工所での中国人労働者の扱い
室蘭市の収容所では、北海道の真冬であってもストーブは与えられなかった。
海風吹き込む質素な収容所。
衣服は最初に支給されたもののみで、ペラペラの靴はすぐ破れた。
素足で働かされ、冬の寒さで凍傷を起こした。
凍傷によって足指や耳が腐れ落ちた人もいた。
風呂はなく、労働者は垢や汚物にまみれて、収容所内は異様な悪臭を放っていた。
飲み水は与えられず、労働者は、屋根の雪を食べて咽の渇きをしのいだ。
指導員からの暴行や拷問は日常茶飯事で、周りへの見せしめとして遠慮なく命までも奪った。
病気になろうが、病死しようが、医者が収容所に来ることはなかった。
食事はろくに与えられず、労働者は飢餓に苦しむ毎日であった。
体が衰弱して立てない人は、専用棟に移され、食事は断たれた。
そこで、ほとんどの人が死んでいった。
遺体は労働者の仲間がリヤカーで運び焼いたが、空腹のあまり焼け焦げた遺体を食べた者もいたという。
新たなる遺体
1972年、室蘭イタンキ浜墓地にかかる新道工事現場で、計115体の白骨化した遺体が新たに発掘された。
特に9体の埋葬状況は異常であった。
当時の新聞の記事によると、
「たたみ一畳ほどの所に折り重なって埋められ、一番下の一体以外は寝棺にも入っていなかった」
残った怨恨
多くの中国人は過酷な労働の末、穴を掘って捨てられた。
残虐を極めたその恨みは強い。
イタンキ浜から地球岬にかけての海岸沿いは、霊の目撃談や不思議な現象の体験談が非常に多い。
イタンキは浜は夏でも水温が低いという理由で、2017年に海水浴場が閉鎖された。
それ以前は、海水浴場が開かれていた。
多くの人が、泳いでいると足を引っ張られる経験をしている。
原因不明の溺死も発生していた。
中国人殉難烈士慰霊碑
現在、イタンキ浜を見渡す丘の中腹に「中国人殉難烈士慰霊碑」が建てられている。
旭川市の隣町、東川町同様、自らが犯した消せることのない罪を取り繕うための慰霊碑である。
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