トンネル内の地蔵が物語る、明るみに出ない歴史
1945年に開通した大函隧道。
大函隧道は手掘りのトンネル。
その工事に強制労働者が使われ、過酷な状況下で働かされていました。
労働者はタコ部屋労働者です。
強制労働者は使い捨てにされ、命を落とすものも少なくはありません。
過酷な労働、質素な食事、逃げられない環境。
この、大函隧道の労働者は自ら命を落とす者も多くいた様です。
冬の厳しい寒さの中、日々の重労働に耐えられず、命を捨てる。
春先の雪解けの季節、大函隧道の下を流れる石狩川の下流で自殺者の遺体が発見されたこともありました。
行方のわからない者も多数います。
北海道の山奥、厳しい自然、ヒグマの生息する地域、そこから逃げても、そんな環境の中でどこかの街に辿り着くのは容易ではありません。
工事で命を落としても人の扱いを受けられず、供養すらされない魂は、その場に残り続けました。
このトンネルを通過する者に救いを求め、度々姿を表します。
霊の目撃情報は日々蓄積します。
当然、誰もが思います。
「このトンネルは使うべきではない、、、」
その、時期にふと、誰かが気づきました。
「工事関係者の身内に不幸な事件が多発している」
最初は気のせいかと思っていたその事実も、身内の急病、交通事故、そんな事が起きるにつれて
「トンネル工事が原因」
言葉にはしないもの、人は胸中にそんな結論を抱いていました。
その影響は身内だけに留まりませんでした。
層雲峡の周辺は土地柄、溶結擬灰岩の地質であり、長い年月でそれが侵食されていき、柱状節理と呼ばれる、断崖絶壁がそびえ立つ地形です。
大函隧道周辺の道の崩落事故も相次ぎました。
1974年、新大函トンネルが作られ、このトンネルは封印されました。
トンネルが役目を終えた後、このトンネル内には『必要があって』観音像が設置されました。
閉鎖された大箱隧道内、誰も行かない場所に設置されている大きな観音像はそんな大函隧道の歴史を無言で物語っています。
心霊スポット
旧大函トンネル(大函隧道)は北海道を代表する心霊スポットの一つとなっています。
この大函隧道の周りではいろいろな噂話が流れています。
大函隧道の手前の橋で下半身の失われた男性の霊がいる
地蔵にイタズラをした人が行方不明になった
旧大函トンネル内、犠牲者を弔うための地蔵の前には、周辺で発掘された強制労働者らしきものの骨が今も残っています。
崩壊が進むトンネル内部
大函トンネルの内部に入ると真っ先に感じる、空気の冷たさ。
肩にのしかかる異常に重い空気。
トンネルの外は暖かくても、トンネルの中は身震いするほどに寒い。
歩いて行くと異常に長いトンネルの中部。
耳が痛いほどの静けさが空気を支配しており、その中で異様に響くピチャンピチャンと天井から水が落ちる音。
光はトンネルの両端にしか見えず、歩いている最中に背中にまとわりつく暗闇は、振り返ることをためらうほどに嫌な空気となり、冷気で冷えた身体をさらに締め上げる。
大函トンネル内部には、家財道具のようなものが放置されている。
汚れ具合やデザインからみると、かなり昔から存在していたものと思われる。
この様な場所は不法投棄がよく見かけられるが、この場所に限っては誰かが人里離れたこの場所にわざわざ持ち込むとは思えない。
当時のタコ部屋労働者が使っていたものなのだろうか?
大函トンネルの端の方はコンクリートで固められているものの、中間部分は削り出したままの岩肌。
落石を防ぐ様に、鉄のフレームが設置されている。
しかし、トンネル内部は崩壊がはじまっており、壁が崩れ落ちてきている。
道を守るためのフレームもあまりに大型の落石によって曲がってしまっている。
その様な落石は何箇所もある。
こんなトンネルを手掘りで作ったのだから、トンネル工事中も、この様な落石があれば簡単に命を落とす事になるだろう。
大函隧道 (旧大函トンネル)の詳細情報
所在地:北海道上川郡上川町層雲峡
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