史跡・遺跡・廃墟

太陽小学校 (はぼろ緑の村) [北海道苫前郡羽幌町]

羽幌炭鉱 太陽小学校 史跡・遺跡・廃墟
太陽小学校前[360度画像]

羽幌炭鉱と共に終わりを告げた太陽小学校

羽幌炭鉱の歴史

北海道苫前郡羽幌町。
海岸にある羽幌町の市街地から20km離れた山中に、かつて羽幌炭鉱築別抗がありました。
大自然に囲まれた山の中にある築別坑。
人の気配がない、自然と野生生物の世界。
エゾシカと、ヒグマが行き交う森の中です。
三毛別羆事件で有名な三毛別も羽幌炭鉱の区域内にあります。

1935年操業開始。
1970年閉山。

築別炭鉱には炭鉱町が作られ、1万人以上の人々が生活をしていました。
当時は築別炭鉱の周囲に、駅、居酒屋、パチンコ店、病院、映画館、プール等様々な施設がありました。
今となっては、面影はほとんど消え去ってしまいましたが、羽幌の奥に一つの街がそこにあったのです。

太陽小学校 (はぼろ緑の村) 外観
羽幌町立 太陽小学校

太陽小学校の歴史

太陽小学校 (はぼろ緑の村) ロゴマーク
今でもしっかり残る太陽小学校の校章

築別炭鉱から一番近い小学校であった太陽小学校は1940年に開校。
太陽小学校、開校当時は現在の小学校が残る場所とは違う場所にありました。
開校当時は、臨時に作られた小学校でした。
そのため学校と呼べるような施設ではありません。
他で使用していた施設を転用したもので、グラウンド、体育館など、学校を構成する施設はありませんでした。
1945年 現在の場所へ移転。
1962年 円形の体育館が完成。
1966年 木造校舎から、鉄筋コンクリート造に改築。現在残る太陽小学校の建物です。
1970年 新校舎完成から、わずか四年で羽幌炭鉱の閉山と共に閉校。

太陽小学校閉校後は 宿泊施設『はぼろ緑の村』へ

太陽小学校閉校後、校舎は新たなる施設に生まれ変わりました。
町営の宿泊施設、『はぼろ緑の村』は1979年営業開始。
キャンプ場、パークゴルフ場、野球場、炭鉱資料室等の様々な施設が集まっていました。
坑口から湧出した、温泉もあったようです。
体育館を利用しての運動部の合宿や保養施設として、人々を受け入れていたようです。
はぼろ緑の村は20年程度営業した後、2000年に閉鎖されました。
流石に羽幌の山奥にある強い特色の無い宿まで、足を運ぶ人はそんなにいなかったのでは無いでしょうか?
現地を見た感想ですが、周囲は緑に囲まれ、天気がよければとても気持ちの良い場所です。
ただ、土地柄どこの町から向かうにしても少し遠い気がします。
「わざわざ行く場所」にはならない気がします。

太陽小学校の現状

太陽小学校 (はぼろ緑の村) 玄関
太陽小学校 (はぼろ緑の村)の正面入り口

入口ガラスは、積雪の影響のためか割れてしまっている。
ドア奥は、雪や、野生動物の侵入を防ぐように、板が打ち付けられている。

太陽小学校 (はぼろ緑の村) 忘れ物

太陽小学校の体育の授業で使っただろう膝当て。
ここに学校が存在したことを物語る。

太陽小学校 (はぼろ緑の村) エントランス
横から見た太陽小学校 (はぼろ緑の村)の正面入り口

殺虫器がぶら下がっています。
場所柄、夜は虫だらけでしょう。
毎夜毎夜、殺虫器の真下には異常な量の虫が足元に落ちていた事でしょう。

太陽小学校 (はぼろ緑の村) 車椅子

フレームだけになった車椅子。

雪の重みで倒壊した太陽小学校の体育館

太陽小学校の倒壊した体育館[360度画像]
太陽小学校 (はぼろ緑の村) 崩壊した体育館
天井が崩落した、太陽小学校の体育館

2017年から2018年にかけての冬季。
雪の重みによって倒壊したとされる、特徴的な円形体育館。

太陽小学校 (はぼろ緑の村) 体育館外観
体育館の外観

太陽小学校の校舎より先に、体育館が自然に還ろうとしています。

太陽小学校 (はぼろ緑の村) 体育館入り口
体育館の入り口

内部の詳細

屋根が崩れ落ち、太陽小学校の象徴、円形体育館は永遠に失われてしまいました。
非常に残念です。
太陽小学校の校舎自体はまだしっかりしている様なので、中の様子を伺ってきました。

太陽小学校 (はぼろ緑の村)の詳細情報

所在地北海道苫前郡羽幌町築別炭砿

太陽小学校 (はぼろ緑の村)の周辺マップ

太陽小学校 (はぼろ緑の村)

航空写真

この記事をシェアする

この記事へのコメント・情報のシェア

H.T.Information
タイトルとURLをコピーしました