北海道の温泉

さわと温泉(長沢温泉旅館、熊谷温泉) [北海道上士幌町]

北海道 野湯 さわと温泉 糠平湖 北海道の温泉
幻の秘湯。さわと温泉

ダム湖の底に眠る記憶。幻の「さわと温泉」

北海道上士幌町、美しいアーチ橋「タウシュベツ川橋梁」で知られる糠平湖
この湖には、水位が下がった時にだけ姿を現すもう一つの「幻」が存在します。
それが、「さわと温泉」です。

一見すると、自然の中にポツンと湧く野湯に過ぎないこの場所には、実は100年を超えるドラマチックな歴史が隠されています。

「さわと温泉」の源泉は、非常に古い時代からこの地に住むアイヌの人々に認知されていました。
この源泉の脇を流れる川は「ペンケユウンナイ川」と呼ばれており、アイヌ語で「ペンケ=下流、川下」「ユ=温泉」を意味します。

1. はじまりは「長沢温泉旅館」:大正時代の賑わい

※当時の資料からAIによる再現画像

この地の温泉利用の歴史は、今から110年以上前の大正時代にまで遡ります。

  • 1913年(大正2年):現在の糠平湖底にあたる「ユウンナイ」地区に長沢温泉が開業しました。
  • 名前の由来:源泉近くを流れる「ペンケユウンナイ川」のアイヌ語名(ユ=温泉、ウン=ある、ナイ=川)が示す通り、古くから温泉の存在は知られていました。
  • 当時の様子:1925年(大正14年)の記録によれば、ナトリウムアルカリ泉の「砂湯」として親しまれていたそうです。

長沢温泉は、現在の糠平の温泉街よりも早くに歴史の表舞台に現れました。
当時の記録によれば、五の沢の合流点付近に小屋を掛け、営業を行っていたとされます。
しかし、当時は鉄道(士幌線)も開通しておらず、道路事情も極めて劣悪でした。
湯治客は原生林を分け入り、沢を遡行して辿り着かねばなりませんでした。

長沢温泉旅館のはじまり

物語の始まりは今から100年以上前、大正2年(1913年)に遡ります。
長沢元治氏が、この地の川縁(ペンケユウンナイ川付近)に湧く源泉を利用し、「長沢温泉」を開業しました。
資料によっては「ペンケユウンナイ温泉」とも記されるこの場所は、当時の人々にとってまさに「秘境中の秘境」でした。

時代の背景:十勝監獄と音更山道

開業当初、経営は非常に厳しかったといいます。それもそのはず、当時のこの地域はまだ道路すらまともに整備されていない原生林でした。
後に国道273号線となる「音更山道」が、十勝監獄の囚人たちの過酷な労役によって開削されるのが大正7年頃。それ以前の客といえば、奥地に入り込む造林業関係者のみ。

一般の観光客が訪れることなど到底考えられない、隔絶された場所だったのです。

伝説の女将、長沢ユキ

経営が思わしくない中、大正9年(1920年)に転機が訪れます。
創業者の長沢元治氏が、妻のユキ夫人と共に自ら経営に乗り出したのです。

実はこの長沢氏、元は憲兵曹長として日露戦争で密偵(スパイ)活動に従事していたという異色の経歴の持ち主。
引退後は軍人恩給を受けながら、この秘湯でのんびりと余生を過ごすつもりだったようです。

しかし、真の主役は夫人のユキさんでした。

鉄砲を背負った「姐さん」

熊本県出身で東京の女学校を出たというインテリジェンスを持ちながら、彼女の気性は誰よりも激しく、そして逞しいものでした。

・造材業者からの信頼: 荒くれ者の多い現場で「姐さん」と慕われる人望
・ハンターとしての顔: 暇さえあれば鉄砲を背負って山に入り、ヤマドリやキツネ、時にはヒグマを追って一人で野宿をする。

当時の十勝開拓期には多くの傑物がいましたが、女性でありながら原始林を支配した彼女の存在感は、圧倒的だったに違いありません。
大雪山の懐深く、湯煙の向こうに鉄砲を持った女将が立っている――そんな映画のような光景が、かつてここにはあったのです。

2. 「熊谷温泉」への改称と、突然の別れ

  • 許可・開業: 昭和2年(1927年)に温泉利用許可を取得し、本格開業
  • 場所: ペンケウエンナイ川左岸(現在のタウシュベツ対岸付近)
  • 経営者: 熊谷友次郎氏、妻・カネヨ氏
  • 建物: 木造2階建て、約100坪。客室数室と広間、自炊場を完備

昭和15年(1940年)には宿は鹿追村の熊谷ナヲ氏に譲渡され、地域の湯治場として愛され続けました。

「下の病」に効く湯治場

熊谷温泉は、観光地というよりも「療養の場」として愛されました。
特に「下の病(性病や婦人病、痔など)」に特効があると噂され、人目を忍んで訪れる湯治客も多かったと言われています。
宿は友次郎氏とカネヨ氏の夫婦、そして番頭や手伝いの人々によって家庭的に運営されていました。
昭和14年には二階建ての立派な建物に改築され、農閑期の保養所として、あるいは林業関係者の癒やしの場として賑わいを見せました。

熊谷温泉の終焉

しかし、時代の波はこの秘湯を許しませんでした。
戦後の電力不足を解消するための国策、糠平ダム建設です。

昭和27年(1952年)、ダムの完成により、音更川はせき止められ巨大な人造湖「糠平湖」が誕生しました。
これにより、長沢温泉(熊谷温泉)の建物は、あのタウシュベツ川橋梁と共に冷たい水の底へと沈んでいったのです。

人々はこの温泉のことを忘れ去り、歴史の闇に消えたかに思われました。
しかし、糠平湖はその特殊な水位調整によって、年に一度、かつての記憶を地上に晒します。

  • 1952年(昭和27年):電源開発による「糠平ダム」の建設が決定。温泉宿は立ち退きを余儀なくされ、その歴史に一度幕を閉じます。
  • 1955年(昭和30年):ダムが竣工し、かつての温泉街は静かに湖底へと沈んでいきました。

3. 40年後の復活:愛好家が名付けた「さわと温泉」

さわと温泉
※AIによる再現イメージ画像

湖底に沈んでから約40年。
忘れ去られようとしていた源泉を再び見出したのは、熱心な温泉愛好家たちでした。

  • 1992年(平成4年):自衛隊員であった佐藤氏、脇坂氏、友重氏の3名が、かつての熊谷温泉跡付近に木製の湯船を自作して復活させました。
  • 名前の秘密:現在の呼び名「さわと」は、この発起人3名の頭文字(佐・脇・友)を組み合わせて名付けられたものです。

手作りのコンクリート風呂

彼らは営利目的ではなく、「自然の中で温泉を楽しみたい」という純粋な情熱で動きました。
重機が入らない場所であるため、セメントや資材を背負って運び、手作業で川岸の岩場を整備。
立派なコンクリート製の湯船と、更衣室となる小屋まで作り上げました。

完成した「さわと温泉」は、有志による清掃活動(掃除当番ノートなども設置されていた)によってきれいに保たれ、知る人ぞ知る「秘湯」として愛されました。

4. 施設の撤去、そして「幻の秘湯」へ

有志の手で再び賑わいを見せたさわと温泉でしたが、厳しい現実が待っていました。

  • 1996年(平成8年):その場所が株式会社電源開発の私有地であり、かつ国立公園内での無許可建造物であったことから、設置された施設はすべて撤去されました。

終焉:林野庁による撤去通告

当時は北海道ツーリングの途中でバイクで訪れ、浴槽の横にテントを張り、宴会をしながら入浴を楽しんだとか。
浴槽から糠平湖を眺めながら入浴を楽しむ。
糠平湖周辺に大きな町はなく、夜になれば素晴らしい星空。
そんな夢のような野湯だったのです。

しかし、その人気が仇となります。
インターネットの普及と共に訪問者が激増し、ゴミの放置や焚き火の不始末といったマナー問題が表面化。
さらに、この場所は国有林内であり、無許可での工作物設置は法的に問題がありました。
また、ヒグマの濃密な生息域であることから人身事故のリスクも懸念され、平成中期、林野庁(森林管理署)の指導により、湯船や小屋はすべて撤去・破壊されました。

現在の姿:自然と共にある「野湯」

施設が撤去された今も、源泉は変わらず自噴し続けています。
現在は、渇水期にのみ姿を現す小さな湯溜まりとして、知る人ぞ知る野湯となっています。
湯温は当時の記録では60度、現在の湧出口近くの実測だと45.5度前後になるようです。
pH8.0のアルカリ性で、時折野生の鹿も湯浴みに訪れるという、まさに手つかずの自然そのものの姿です。
お湯はほぼ無臭ですが、かすかに硫黄臭がすることがあります。
お湯が湧き出る土の中から、定期的にガスが湧き上がります。
湧出場所は、手を入れるとかなり「熱い!」温度で、さすがにそのまま入れません。
泉質はアルカリ性食塩泉が主で、胃腸病・神経痛・婦人病・冷え症・リウマチ等に効用があるとも伝えられています 。

長沢温泉から熊谷温泉、そしてさわと温泉へ。
名前を変え、姿を変えながらも、100年以上湧き続けるそのお湯には、開拓からダム建設、そして現代の愛好家たちの想いが今も溶け込んでいるのかもしれません。

さわと温泉への行き方

さわと温泉

現地は大自然の中であり、特にエゾシカが多い地域です。
ヒグマの生息域でもあるので、対策が必要です。

一番簡単な冬季がオススメ

一番簡単なアクセス方法は、糠平湖全面が凍結する冬。
ワカサギ釣り解禁時期に湖上へ上がることができます。
そのまま徒歩で、対岸のさわと温泉へ。

テント、浴槽を持ってきてキャンプする姿も。冬季は荷物の運搬もソリがあれば簡単。

タウシュベツ川橋梁観光用の林道走行

夏場は、タウシュベツ川橋梁観光のための、林道を有料で走行できます。
タウシュベツ川橋梁から先は車両通行止めなので、徒歩移動が必要になります。

その他の行き方

カヌー等で糠平湖上を横断して行く方法もあるようです。

入浴方法

源泉温度が高いので、適切な場所に浴槽を作る必要があります。
一番簡単なのは冬に簡易浴槽とホースを持参すること。

 

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