

北海道東部、風光明媚な屈斜路湖のほとりに位置した「いなせレジャーランド」は、かつて地域を代表する複合レジャー施設であった。北海道川上郡弟子屈町に所在し、地元住民や近隣からはしばしば「いなせランド」あるいは単に「いなせレジャーランド」の名称で親しまれていたが、その呼称は特に屋内施設を指すことが多かったとされる 。宿泊施設、温泉、娯楽施設、そして広大な敷地を利用した屋外アクティビティを提供していたこの施設は 、現在ではその役目を終え、廃墟として静かに時を刻んでいる。
屈斜路湖畔の大人のための遊園地
かつて北海道川上郡弟子屈町の屈斜路湖畔には、『いなせレジャーランド』と呼ばれた大規模なレジャー複合施設がありました。
正式名称『いなせランド総合遊園地』。
関西の企業が運営する施設で、財政的な理由で2001年で閉業しました。
いなせレジャーランドは温泉施設、貸別荘、宴会場、遊園地、ゲームセンター、植物園、キャンプ場など、屈斜路湖畔の広大な風景と共に、都会で疲れた人々の息抜きのための施設が揃った場所でした。

いなせレジャーランドの歴史
屈斜路湖畔への進出
いなせレジャーランドが最初に設立された正確な年月日および当初の運営主体については、今では特定することができない。ある資料では「いなせランド総合遊園地」の運営期間を「?- 2001」と記しており、これは少なくとも遊園地部分の閉鎖が2001年頃であった可能性を示唆するものの、その開業時期は不明確なままである 。したがって、1982年に後述する緑風観光が事業を継承する以前の、施設の黎明期に関する具体的な情報は限定的であると言わざるを得ない。
緑風観光による事業継承(1982年)
いなせレジャーランドの歴史における明確な転換点は、1982年7月31日に訪れる。この日、大阪府に本社を置く緑風観光株式会社が、いなせレジャーランドの事業を継承したのである 。緑風観光は、1951年に大阪観光興業株式会社として設立され、主に貸切観光バス事業や旅行業を核として発展してきた企業である 。
大阪を拠点とする運輸・旅行業主体の企業が、遠く離れた北海道の大型レジャー施設運営に乗り出したという事実は、当時の経済状況を背景とした戦略的な意図をうかがわせる。1980年代初頭は、日本経済がバブル期へと向かう成長・拡大基調にあった時期である。緑風観光にとってこの事業継承は、従来の運輸・旅行業からの多角化を図り、成長分野と目されたレジャー・リゾート市場へ参入する重要な一手であったと考えられる。同時に、国内有数の観光地である北海道、特に自然景観に恵まれた屈斜路湖周辺への地理的な事業拡大を目指すものであった。この買収は、それ以前の運営者が何らかの経営的課題に直面していた可能性を示唆しており、緑風観光にとっては、自社の旅行事業との相乗効果(例:ツアー客の送客)を見込める好機と捉えられたのかもしれない。
緑風観光による地域への投資
1982年の事業継承後、緑風観光はこの地域への関与を深めていく。1989年7月1日には屈斜路湖での遊覧船事業の認可を取得し、さらに1991年10月1日には釧路支店を開設している 。
これらの動き、すなわちレジャー施設本体の取得(1982年)、隣接する湖での観光船運航(1989年)、そして地域拠点の設置(1991年)という一連の流れは 、単なる資産取得に留まらない、計画的な地域観光戦略の存在を示唆している。緑風観光は、いなせレジャーランドを核(アンカー)とし、自社の運輸業のノウハウも活かしながら、屈斜路湖周辺エリアにおける総合的な観光サービス提供体制を構築しようとしていたと考えられる。これにより、同社は道東地域における観光事業の足がかりを確立しようとしたのであろう。
いなせレジャーランドとは何だったのか?
緑風観光の運営下で、いなせレジャーランドは宿泊、保養、娯楽、そして屋外レクリエーションといった多様なニーズに応える複合施設として展開された 。前述の通り、地元では特に屋内施設群を指して「いなせレジャーランド」と認識されることが一般的であった 。
屋内施設
ジャングル園(ジャングル風呂): 特徴的な三角屋根のサンルーム構造を持ち、内部には4種類の浴槽が設けられていた。特筆すべきは、熱帯地方原産の鳥が室内で放し飼いにされており、非日常的でエキゾチックな入浴体験を提供しようとする意図が見られる点である 。これは、当時のレジャー施設によく見られた趣向の一つであった。
宿泊施設(鹿苑荘 – しかえんそう): 家族向け客室107室と団体向け客室6室を備えた宿泊棟 。フロント、座敷食堂、宴会場、大広間といった付帯設備も有していた 。別の記録では、鹿苑荘は食堂、売店、宴会場を含む中央の建物であり、コテージタイプの宿泊施設が複数棟並んでいた可能性も示唆されている 。
娯楽・物販施設: ゲームセンターが設置されており、特に「年代物のエレメカ」(電気機械式ゲーム)、ピンボール、そしてテーブル型ではないアップライト筐体のビデオゲームが多数稼働していたことが記録されている 。これは、施設が比較的新しいアトラクションへの更新を積極的に行わなかったか、あるいは特定の時代の雰囲気を保持していた可能性を示している。土産物コーナーも併設されていた 。
これらの屋内施設の構成、特に家族・団体向けの宿泊施設 、ユニークなテーマ風呂 、そしてレトロなゲームセンター という組み合わせは、主たるターゲット層が家族連れや団体旅行客、そしてある種のノスタルジーを求める層であった可能性を示唆している。しかし、時代が進むにつれて、こうしたやや旧式化したアトラクション構成が、最新設備を備えた他の観光施設との競争において不利になった可能性も否定できない。
屋外施設とアクティビティ
庭園・公園エリア: 敷地内には鹿牧場、あやめ園、つつじ園、子供遊園地、馬場、ヘルスセンターなどが存在した 。さらに、南国の植物を展示していた可能性のある温室群、トリム広場と呼ばれるアスレチックエリア、大小様々な滑り台、ジャングルジム、雲梯、鉄棒、回旋塔といった多様な遊具が設置されていた記録もある 。滑車で滑降する遊具(ジップラインのようなもの)や木馬なども見られた 。
キャンプ場: 主要な屋内施設が閉鎖された後も、一定期間営業を継続していたキャンプ場が併設されていた 。鹿苑荘の前の道道を挟んだ屈斜路湖畔に位置し、有料で運営され、キャンプ場利用者専用の露天風呂も備えられていた 。
屈斜路湖遊覧船: 緑風観光が1989年に事業認可を得て運営していた屈斜路湖の遊覧船サービス 。キャンプ場近くの乗り場から、「快速艇 トムキャット」という名の黄色いボートが運航されており、猫のキャラクターマークが特徴的であった 。
これらの屋外施設やアクティビティの充実は、阿寒摩周国立公園という恵まれた自然環境を最大限に活用しようとする意図の表れである。広大な庭園、湖畔のキャンプ場、湖上での遊覧船 、そして近隣には池の湯のような自然の露天風呂も存在したこと から、人工的なアトラクション(ジャングル風呂、ゲームセンターなど)と地域の自然美を組み合わせ、国立公園を訪れる観光客に対して多様な魅力を提供するビジネスモデルを目指していたことがわかる。このモデルの成否は、地域全体の観光動向に大きく左右されるものであったと考えられる。
いなせレジャーランドの終焉
段階的な閉鎖
いなせレジャーランドの終焉は、一度に訪れたわけではなく、段階的に進行した。まず、「いなせランド総合遊園地」と称される主要な遊園地・屋内施設部分が2001年頃に閉鎖された。しかし、その後もキャンプ場は営業を継続していた 。最終的に、そのキャンプ場も2015年時点で閉鎖が確認されている 。なお、近隣にある無料の露天風呂「池の湯」は、運営主体とは無関係に利用可能な状態が続いていたようである。
このような段階的な閉鎖プロセスは、施設の経済的な実行可能性が徐々に失われていったことを示唆している。維持管理に比較的手間と費用がかかる屋内複合施設や遊園地部分が、相対的に維持コストの低いキャンプ場よりも先に運営継続が困難になったと考えられる。これは、観光客の嗜好の変化(例:大規模で画一的な施設から、より個別化・専門化された体験へ)、競争の激化、地域観光全体に影響を与える広範な経済状況の変動、あるいは緑風観光固有の運営上の課題などが複合的に作用した結果である可能性が高い。資料からは閉鎖の直接的な原因は読み取れないものの、段階的な縮小は長期にわたる衰退プロセスを物語っている。
廃墟への変容
最終的な閉鎖後、施設は放棄され、時間の経過とともに荒廃していった。屋内施設は「廃止された屋内施設」として言及され 、敷地内は雑草が生い茂り 、鹿苑荘をはじめとする建物は閉鎖され 、かつての遊具や温室も朽ち果てた状態で残されている様子が観察されている 。別の資料では、この場所を「廃屋のいなせレジャーランド施設跡地」と表現している。
運営時の多様なアトラクションの記録とは対照的な、この荒廃した光景 は、かつて投じられたであろう相当な投資が最終的に経済的な成功に至らなかったことを物理的に示している。いなせレジャーランドの跡地は、特に好景気の時代に計画・建設された大規模観光開発が、その後の市場環境の変化に適応できずに終焉を迎えるという、観光開発のライフサイクルの一つの事例として捉えることができる。
自然に飲み込まれてゆく、いなせレジャーランドの風景
正面駐車場とトイレ
道道52号線沿いを行くと、屈斜路湖とは逆の方向にいなせレジャーランドの駐車場跡が目に入ります。
正面の駐車場の奥には、今は残っていませんがお土産と食べ物を販売していた建物がありました。
駐車場の片隅にトイレの跡が残る。
その奥に温泉施設だったいなせレジャーランド、ヘルスセンターが見えます。



入場券売り場
いなせレジャーランドの駐車場横に、入場券売り場の表示がある建物があります。


いなせレジャーランド ヘルスセンター (ジャングル風呂)
いなせレジャーランドの駐車場の奥に大きな三角屋根の建物、ヘルスセンターがあります。
いなせレジャーランド跡地の中に残る一番大きな建物です。
ヘルスセンターは温泉大浴場です。
いなせレジャーランドの名物である、ジャングル風呂がありました。
その他に、ヘルスセンターには食堂などが併設されていました。



自然に飲み込まれまさにジャングルと化した、いなせレジャーランドの名物であったジャングル風呂。
今はとにかく足元は野生生物の糞だらけになっています。
コロコロとした鹿の糞のほか、もっと大型のおそらくヒグマの糞が落ちていました。
野生動物が出入りできる大きな出入り口は見当たらないので、野生生物はどこから出入りしているのかが謎です。


ジャングル風呂は天井が半透明の素材のため、日が入ると暑くなります。
そのために、冬場は野生生物の家になっているのではないでしょうか?

ヘルスセンター 食堂

車庫・物置


原生花園



温室植物園
いなせレジャーランドの中央に位置する場所に、かなりの棟数の温室が並んでいます。
温泉熱を利用した、『温室礫耕栽培』が行われていた様です。
スイカ、キュウリ、トマトなどをはじめ、花や熱帯植物などが栽培され、販売もされていました。











展望台入り口

貸別荘
いなせレジャーランドの宿泊施設となっていた、貸別荘の区画。
センターハウスである鹿苑荘を中心に貸別荘の一画があります。
長屋状に繋がった小さな家が向かい合って2列に並んでいます。
当時は家の間は芝生となっており、宿泊者たちの憩いの場となっていた様です。
建物は崩壊が始まっており、完全に倒壊した建物、半壊の建物も多数あります。
火災で失われた様な一画もありました。
貸別荘区画の営業を終えた後は社員寮として使用していたらしく、現在建物内に多くの物が残っていますが、住み込んでいた社員のものだと思われます。















普通の家のような残置物が多い。




わざわざ郊外の遠いこんな場所に運ぶより、分別して捨てたほうが早いと思う。



鹿苑荘
いなせレジャーランド、貸別荘の一画の中心に位置する、鹿苑荘。
ここが貸別荘滞在者のセンターハウスのようです。
フロント、売店、大食堂 原始林、宴会場 丹頂の間、大広間がありました。






鹿苑荘内 大食堂 原始林
貸別荘の一画にある、食堂、『原始林』。
いなせレジャーランド内には多数の食堂があったようだが、この原始林は貸別荘滞在者向けの食堂だったのでしょう。
この近くに、自動販売機コーナーも設置されていました。


温水プール

いなせレジャーランドの詳細情報
所在地:北海道川上郡弟子屈町屈斜路
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