
三菱美唄炭鉱と運命を共にした沼東小学校
沼東小学校は1906年に盤之沢簡易教育所として開校。
近隣に存在した三菱美唄炭鉱の規模拡大と共にこの周辺地域の人口も増加していった。
最盛期には総学級29級、児童数1570名が在籍する規模の学校だった。
三菱美唄炭鉱と生命を共にし、国内石炭産業の衰退と共に、1974年3月の修了式をもって閉校。
学校の名称は時代と共に変わり、盤之沢簡易教育所からはじまり、我路尋常小学校・沼東尋常小学校・沼東国民学校と変わり、最終的な名称が沼東小学校となる。
現在では、円形校舎1棟と、体育館跡が残る。
その沼東小学校の校舎が建てらたのは1959年。
現在残るのは円形校舎1棟であるが、当時沼東小学校の校舎は2棟あり、それが湾曲した廊下でつながっていた。
上空から見ると沼東小学校の外形がメガネの様に見えたため、『メガネ校舎』と呼ばれていた。

沼東小学校の美しい円形校舎は廃墟アートへ

静かな森の静寂の中映し出される水鏡。

今見てもとても美しい校舎。
心霊スポット 『神隠しにあった少女』

沼東小学校には、赤いランドセルを背負う少女の霊が出るという。
沼東小学校の幽霊は昭和の時代、多くのメディアで取り上げられた。
霊媒師が訪れ、少女の霊を成仏させようとしたが、負のエネルギーが強すぎて、慌てて逃げ出したというエピソードも残っている。
沼東小学校の校舎は非常に美しく、日本国内でも数少ない円形校舎が特徴。
最上階天井には、ガラスブロックが埋め込まれ、そこから差し込む日光が非常に美しい。
むしろ、廃墟になりその美しさが引き立てられている。
その様な希少で美しい校舎のため、多くの廃墟アート好きなカメラマン達が訪れていた。
ただ、ここを訪れた者は何らかの異質な体験したと話す。
写真に、白い靄や光の玉が移り込む。
白い人の影が写真に写っている。
窓から覗く、少女の姿が見えた。
赤いランドセルの少女が立っていた。
多くの人の話に出てくる少女の霊
実は昭和の時代、沼東小学校がまだ活気に溢れている時期におこった事件が関与している。
とある日の授業中、沼東小学校に通う一人の少女が、休み時間に姿を消してしまった。
何か理由があって下校してしまったのか、教師はそう思いながらその日の授業を終えた。
教師は確認のため、少女の家と連絡をとるが、少女は家には帰っていないという。
教師は慌てて他の教師たちと通学路や周辺地域、学校の周囲を探し回るが見つからなかった。
やがて夜になった。
少女は帰らない。
警察に通報し、警官と教師や地域住民も協力し夜通し捜索が行われたが、それでも少女は見つからなかった。
当時北海道内で拉致事件が流行していたため、不審な人物を見なかったか捜査が行われた。
真実は田舎の少女を狙った誘拐事件なのかもしれないが、姿を消したタイミングが帰宅時間ではなく、授業が行われていた時間帯のため、その可能性は少ないと見られた。
そして、そのままその少女は帰ってこなかった。
何の手がかりも無い。
多くの人は『神隠し』事件としてこの事を語り継いでいる。
この事件は、この地域の子を持つ親や子供達を恐怖に陥れた。
廃墟となった沼東小学校に出る少女の霊は、その神隠しにあった少女だと言われている。
少女の霊は、今は美唄国際スキー場のレストハウスとして使われている美唄市立沼東中学校の体育館跡でも見かけられている。

美唄三菱鉱山が閉山しゴーストタウンへ
1973年三菱美唄炭鉱が閉山し、多くの人々がこの地を去っていった。
ゴーストタウンとなった美唄の奥地一帯の区域。
周囲一帯が怪奇現象が多々起こる、心霊スポットとなっている。
また、この場所がそういう人を呼び込むのか、周辺での自殺者も多い。
沼東小学校の体育館で首吊り自殺、美唄国際スキー場の駐車場で男性が自動車の排気ガスでの自殺、周辺の橋で飛び降り自殺も起きている。
災いの地と霊

美唄市、旧名「沼貝町」。
沼がつく地名は、水による災害、水害や土砂災害の多い地域につけられる地名である。
実際に美唄ダムから始まる、我路周辺の河川は土砂災害の特別警戒区域にも含まれている。
災いの地である、美唄の奥地。
現地に入ると、独特の空気感が漂い、霊感が全く無くとも体に緊張感が走る。
実際に目撃されている、不思議な存在は沼東小学校の赤いランドセルの少女だけでは無い。
美唄三菱炭鉱病院跡近辺にはおびただしい量の霊が目撃されており、美唄三菱炭鉱病院跡周辺の国道は走行すると、霊感の無い人でも人の声が聞こえるという。
また、美唄我路地区の中心を通る道道135号線走り旧市街地を抜けた一番奥にある美唄ダムには女性の霊が出るという。
美唄三菱炭鉱では、大きな事故が相次いでいました。
1926年、堅抗でのガス爆発で39人が死亡。
1941年3月18日、炭坑内で落盤とガス爆発で死者・行方不明者 177人。
1944年ガス爆発事故で109人死亡。
死亡したのは日本人だけでは無く、朝鮮半島から連れてこられた労働者も多かった。
強力な、災いの地の呪い。
美唄市立 沼東小学校の残された校舎
校舎跡

外壁に残るシャッターは、かつてあったもう一棟とをつなぐ連絡通路のもの。
連絡通路と、もう一棟の校舎は撤去されてしまっている。
建築当時、美唄市内の他の小学校が木造だった時代に沼東小学校には自動で動くシャッターが設置されていた。


周囲はヒグマ、エゾシカの生息地。
泥の上には野生生物の足跡が多数残る。









体育館跡



美唄市立 沼東小学校跡の詳細情報
所在地 | 北海道美唄市東美唄町 |
携帯電話 | 圏外 |
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