札幌を代表する心霊スポットである「平和の滝」
札幌の僻地。
平和の名前を着飾った『後始末の場所』。
『平和』の地名。
これは開拓時代、この周囲が開墾に相当困難が伴ったことから明るい未来への願望をこめてつけられた地名である。
実際は暗く重い事実を覆い隠して、未来への希望を託した『平和』。
しかし『平和の滝』はその名前とは裏腹に、多種多様な怨念や負のエネルギーを引き寄せる場所となってしまった。
同じく札幌市の西区に存在する、小別沢トンネルと同じ旧北海道札幌郡琴似村に属する負のパワースポットである。
軽率につけた『平和』名前が、逆に作用した現状。
「死後の世界では救われたい」という者の命を強く引き寄せてしまう場所となってしまった。
現世を諦め・追われた者達が『平和』の名前に願いに込め、次の道へ紡ぐための死。
平和の滝で数々発生した、焼身自殺、投身自殺、首吊り自殺。
一昔前、平和の滝は心霊スポットなんかではなく自殺の名所であった。
現在も、平和の滝への入り口には自殺の中止を呼びかける案内表示が掲げられている。
平和の滝は憩いの場となり得る場所ではない。
心霊スポットとしての知名度が上がり、大きな観光地の様なイメージがあるが、平和の滝は公園となっているわけではなく、駐車場の脇に小さな滝があるだけの場所である。
階段を降りると手すりもなく、川の淵まで行ける。
平和の滝の駐車場には手稲山への登山道が隣接しており、平和の滝駐車場が登山者の駐車場となっている。
昼の平和の滝の駐車場は多くの車で埋まるが、その階段を降りて平和の滝へ訪れる人はほとんどいない。
明るい時間帯は、登山者の姿が見られる場所ではあるが、日が落ちた後は周囲の雰囲気は一変する。
ここに追いやられ1箇所に集約されてしまった、負の遺産である慰霊碑などが、異様な空気感を作り上げる。
韓國人殉難者之慰靈碑
平和の滝駐車場脇に建つ『韓國人殉難者之慰靈碑』は、第二次世界大戦において、日本軍の命により道内の炭鉱で労働を強制されて亡くなった韓国人の霊を慰めるために建てられた。
当初は札幌市内の藻南公園や美香保公園に建立する案であったが、地元住民の強い反対に遭い札幌の僻地に追いやられた。
相沢良記念碑
相沢良は社会主義思想に傾倒した日本共産青年同盟の女性活動家であった。
明治43年青森市で出生、日本国内を転々とする中、札幌に在住していた姉を頼りに中の昭和7年、古谷製菓工場の女性たちと3回ほど滝近くでハイキングを行った。
これが後にこの地に記念碑が立てられる契機となった
市内で働く女性労働者の幸福について平和の滝で逍遥し語り合ったという。
昭和16年に制定された社会主義活動、反戦運動への弾圧により「治安維持法」を根拠として取締りの対象となったり北海道警察によって逮捕された。
北海道警察及び、移送された美唄警察署内で重い拷問を繰り返し与えられた。
投獄生活によって、1か月近く食事ができずにやせ細り、高熱に苛まれていた。
姉が面会に訪れ、死を覚悟している旨を告げた事が発端となり、釈放される父母が住む青森に戻る。
しかし1週間後、体調は戻らず25歳という若さで病死した。
日蓮宗 大平和寺
平和の滝に隣接する、日蓮宗 大平和寺。
平和の滝は日蓮宗の僧侶が修行の場として使用していた。
日蓮宗の修行には厳寒の中で水をかぶる水行がある。
雪解け水で水温が冷たい春先に平和の滝の滝壺で水に打たれる修行が行われている。
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