

旧小別沢トンネル
札幌という大都市の喧騒からわずかに隔絶された地に、小別沢はその農村風景を今に伝えている 。都会のすぐ傍らにありながら、そこは時が止まったかのような静寂を湛え、古い物語が息づくには格好の場所と言えよう。この小別沢において、単なるインフラとしてではなく、風景に刻まれた深い傷跡、暗い噂と声にならぬ恐怖の焦点として語り継がれる存在、それが旧小別沢トンネルである。
この地域の主たる営みは農業であり、そののどかな風景と、最も悪名高いランドマークがまとう不吉な評判との間には、著しい対照性が存在する 。小別沢は「札幌市の中で、ぽつんと存在する小さな農村」と描写されるように 、その平凡さが逆にトンネルの異様さを際立たせている。平和な風景に刻まれた、不吉な一点の染み。なぜこのトンネルだけが、これほどまでに恐ろしい評判をまとうに至ったのか。その疑問は、自ずと人々の好奇心と底知れぬ不安を掻き立てる。「小別沢トンネルは小別沢で有名なスポットだった」「その独特な雰囲気は怖かった」との言葉が示すように 、その悪評は一部の好事家だけのものではなく、地域に深く根差したものであったことがうかがえる。その「独特な雰囲気」とは、具体的な怪異譚が語られる以前から、その場所自体が何か本質的に不穏なものをはらんでいたことを示唆しているのかもしれない。


これが旧小別沢トンネル
札幌市を代表する心霊スポットして有名な旧小別沢トンネルは札幌西区と中央区宮の森を結ぶ市道にある小さなトンネル。
初代小別沢トンネルは、札幌中心部への農作物輸送の時間短縮という切実な必要性から、地元住民の熱意と資金によって計画された 。昭和初期、小別沢は札幌中心部へ出るのに山道を2時間以上も歩かねばならない僻地であり 、住民たちはこの状況を打開すべく、2年の歳月をかけて約100メートルの手掘りトンネルを完成させた。それは昭和2年(1927年)頃に着工され、昭和3年から5年(1928-1930年)頃に開通したと記録されている 。札幌市の資料には「昭和2年頃に発破をかけながらノミなどの人力作業で掘った素掘トンネルが始まり」とあり 、また別の資料では「1927(昭和2)年頃、札幌市街地への農作物輸送時間の短縮を図るため、地元住民が資金を出し合い建設を始めたものである。掘削は発破と鑿による手掘りで、完成時は素掘であった」と記されている 。
元は岩剥き出しの素掘りのトンネルだったが、のちにコンクリートを吹き付けて滑らかな凸凹をした陰湿な壁面になった。昭和30年の札幌市と琴似町の合併時に札幌市道として認定され、通算して約70年もの間利用されてきた。
しかし、この地域住民による汗と努力の結晶という「公式」の歴史の陰には、より暗く、血塗られたもう一つの物語が囁かれている。それは、このトンネルが戦時中の強制労働によって建設され、多くの名もなき労働者たちが過酷な条件下で命を落としたという説である。一部の人々は明確に「旧小別沢トンネルは、戦時中に強制労働で建設された歴史があり多くの労働者が命を落としたとされています」と述べている 。この二つの相容れない物語――地域振興のための共同作業という美談と、戦争の狂気が生んだ悲劇――の狭間こそが、旧小別沢トンネルの恐怖伝説が芽生え、深く根を張る土壌となった。公式記録が語る手掘りの苦労 は、もしそれが強制され、死と隣り合わせであったならば、その岩盤の一片一片にどれほどの苦痛と怨念が刻み込まれていることだろうか。強制労働の明確な歴史的証拠が(公には)見当たらないという事実は 、むしろその噂をより不気味なものにしている。それは、闇に葬られた真実の囁き。
さらに、この土地の古層に目を向ければ、その不穏さは一層深まる。小別沢という地名は、アイヌ語の「ク・オ・ペッ」(仕掛け弓を置く沢)に由来するとされ、かつてアイヌの人々にとって狩猟の場であった。狩猟のための「罠を仕掛ける沢」。この言葉は、恐怖の文脈においては、より深く、より根源的な意味合いを帯びてくる。あたかも、この土地そのものが、不運な魂を捕らえ、あるいは悲劇を引き寄せる「罠」としての性質を古来より宿していたかのように。トンネルの恐怖は、その建設の歴史だけに留まらず、土地の持つ太古の記憶にまで遡る。
照明設備が乏しい旧小別沢トンネル内は日中でも暗く、道幅は三メートル程しかない。換気設備もないため常に湿度が高く、トンネル上部から水がポタリポタリとたれていた。異質な空気が漂い、夜間にこの道を通る事は避けられていた。
その様子から、小別沢トンネルに纏わる心霊スポットとしての噂話は多く人々の中に浸透していった。
新小別沢トンネル

旧小別沢トンネルは長年にわたる使用のため、トンネル内部の岩盤の風化による老朽化が著しく進行していた。全幅が3.5m程度と非常に狭く乗用車1台がようやく通ることができる小さなトンネルであったことから、円滑な通行や安全確保を図るため、新小別沢トンネルが作られる事となった。
新小別沢トンネルは2002(平成13)年2月に掘削を開始、平成15年4月25日に開通した。新しい小別沢トンネルは、延長が231.5m、道路幅員が9.5mとなり、旧トンネルに比べ非常に大きなトンネルとなった。
新小別沢トンネルは旧小別沢トンネルすぐ真横に造られてしまった。


小別沢トンネルの正体
石壁に潜む亡霊:人柱伝説
旧小別沢トンネルの噂の中でも、最もおぞましいものの一つが「人柱」の伝説である 。特に強制労働の犠牲者がいたという説と結びつき、「過労で死んだ人を人柱として壁に埋め込んだなどと言われ」るようになった 。この伝説は、トンネルそのものを単なる通路から、おびただしい数の死者を塗り込めた巨大な墓標へと変貌させる。もしこれが真実、あるいは広く信じられていることだとしたら、トンネルの壁一枚隔てた向こうには、無念の死を遂げた者たちの骨肉が埋め込まれ、その声なき叫びが冷たい岩肌に染み込んでいることになる。トンネルを通過する者は、文字通り死者に囲まれ、その苦悶と怨嗟のただ中を歩むことになるのだ。この強烈なイメージこそが、トンネル内で報告される数々の強烈な心霊現象の源泉となっているのかもしれない。
深淵からの囁き:不気味な聴覚現象
トンネル内部では、しばしば説明のつかない音が聞かれるという。その代表格が、乾いた、鋭い「ラップ音」である 。これは、何者かが壁や天井を叩いているかのような音で、他の怪奇現象の前触れとして現れることも多いとされる。
さらに、誰もいないはずの暗闇から、人の声、微かな呻き声、時には嘲笑うかのような声が響いてくるという報告もある 。あるYouTubeの探索動画では、撮影者たちが「なんか笑い声聞こえたよ聞こえましたよね」と、その場で不可解な声を認識した様子が記録されている(この記録は新トンネルでのものだが、現象自体は旧トンネルの怪談にも通じる)。これらの音は、単なる反響や自然現象として片付けられない、明確な意志を持った何かからの呼びかけ、警告、あるいは永遠の苦しみを訴える声として、聞く者の鼓膜を震わせる。ラップ音はその意図的な響きから、しばしば霊的存在によるコミュニケーションの試み、あるいは侵入者への警告と解釈される。それは、トンネルの闇に潜む何かが、単なる残留思念ではなく、知性を持った存在であることを示唆しているかのようだ。
見えざる視線の重圧:強烈な圧迫感
旧小別沢トンネルに足を踏み入れた多くの者が口にするのが、トンネルを進むにつれて増していく「強い圧迫感」である 。それは単なる閉所恐怖症による息苦しさとは異なり、まるで目に見えない何者かに四方から押し潰され、監視されているかのような、実体を伴う重圧だと言われる。この感覚は、トンネル内に閉じ込められた無数の霊魂の集合的な重みなのか、あるいは邪悪な何かが生者を拒絶し、追い出そうとする力の現れなのか。いずれにせよ、それは訪れた者の精神だけでなく、肉体にも直接作用する恐怖として体験される。
機械の沈黙:テクノロジーへの干渉
不可解な現象は、人間の感覚だけに留まらない。トンネル内やその付近で、自動車のエンジンが理由もなく突然停止するという報告は後を絶たない 。また、懐中電灯の明かりが点滅したり、完全に消えてしまったりといった、電子機器の不調も頻繁に語られる 。ある動画では「今2回連続電気消えたんであれやばいじゃん」と、照明が立て続けに消える事態に遭遇した様子がうかがえる(これも新トンネルでの記録だが、同様の現象は旧トンネルの恐怖譚として語られることが多い)。これらの現象は、トンネルに潜む霊的な存在が、現代の利器にさえ影響を及ぼすほどの力を持っていることの証左であり、その不可視の力が日常を侵食してくる恐怖を際立たせる。特にエンジン停止は、恐怖の只中に取り残されるという最悪の状況を生み出し、暗闇はあらゆる不安を増幅させる。それは、トンネルの霊的存在が、単に過去の残滓として存在するのではなく、積極的に生者の世界に干渉してくることを物語っている。
小別沢トンネルは『心霊スポット』では無い
旧小別沢トンネルの不気味さは、トンネルそのものに留まらず、その周辺に点在する聖域や慰霊の場の存在によって、より広範な悲劇と不安の気配を帯びている。これらの場所は、トンネルの暗い伝説と共鳴し、地域全体に漂う不穏なオーラを増幅させているかのようだ。
忘れられた供物:小別沢の無名祠

旧小別沢トンネルの小別沢側入口近く、少し高い場所に、ひっそりと佇む小さな祠がある 。この祠は、「何を祀ってあるのかわからず、取り残されたような祠である」と描写され 、また別の記述でも「何を祀っているとも知れない小さな祠がある」とされている 。その匿名性と、あたかも忘れ去られたかのような寂寥とした雰囲気は、見る者に言い知れぬ不安を与える。
この祠は一体何を、あるいは誰を祀っているのだろうか。忘れ去られた土地の神か、あるいは記録にも残らない古い時代の悲劇の犠牲者たちか。その謎めいた存在は、旧トンネルの不吉な性質を一層強めている。祠の存在は、この場所が何らかの霊的な意味合いを帯びていることを示唆する。その目的が不明であり、手入れもされていないように見える状態は、それ自体が不気味である。この祠は、トンネルに関連する何かを鎮めるために建てられたのか。それとも、トンネルとは無関係の、より古い時代の悲しみを記憶し、それが今やトンネルの伝説と混じり合ってしまったのだろうか。この曖昧さこそが、恐怖を育む肥沃な土壌となる。
炭鉱夫たちの慟哭:北炭雲釈迦堂の影
旧小別沢トンネルの宮の森側出口付近には、かつて北炭雲釈迦堂(ほくたんうんしゃかどう)と呼ばれる納骨堂、あるいは慰霊施設が存在した 。この施設は、北海道炭礦汽船(北炭)が、特に夕張炭鉱などでの開発における多くの犠牲者を供養するために、夕張から卒塔婆などを移して建立したものだった 。その建立は1973年(昭和48年)とされている 。
この北炭雲釈迦堂は、トンネルの建設と直接的な関係はないものの、その近隣に位置し、多くの死と企業の悲劇に関連付けられる存在として、地域全体に暗い影を落としていた。炭鉱事故で亡くなった人々の無念の思いは、トンネルの建設で命を落としたと噂される人々の怨念と、この地で共鳴し合っていたのかもしれない。そして今、この慰霊堂は「使っている様子も無く、地図からも消えている」と言われ 、その存在自体が幽霊のように希薄になっている。大規模な産業災害の犠牲者を弔うための重要な施設が、このように時の流れとともに忘れ去られようとしている事実は、それ自体が悲痛であり、まるで慰霊の試みさえも時間と忘却によって打ち負かされ、残された霊魂をより一層不安にさせているかのようである。この場所は、宮の森2条17丁目、小別沢線に沿ったトンネルの手前辺りにあったと記録されている 。

祠に祀られていたものとは?

小別沢トンネルが心霊スポットして騒がれた理由は、昭和の時代に面白半分に広がった心霊話だけでは無い。多くの人が実際に体験した不可解な現象の共通項の中に、真実が隠れている。
中を見ればその真実が分かる。
中に収められていたのはアイヌ民族の像であった。
札幌と先住民アイヌ民族の歴史
北海道札幌郡琴似村(現在の札幌市北区〜西区〜藻岩山の西部までの区域)は先住民族であるアイヌ民族の代表的な居住地であった。札幌市周辺にかつていたアイヌ民族は、現在の札幌市中心部より西の方にあった琴似川の流域周りに居住していた。開拓使が函館から札幌へ遷り開拓が進む中、アイヌ民族が一つの障害となった。札幌市の開拓は、札幌中心部におけるアイヌ民族の先住権の問題を解決せずに開発を続けた。
開拓使は1878(明治11)年10月に、札幌郡内の石狩川支流における鮭鱒漁を禁止した。鮭はアイヌ民族にとって重要な食料だった。アイヌ民族が長く営んできたその生活の基となる行為を、開拓使は一方的に違法にした。鮭がさかのぼる川の傍らで暮らしを立ててきたアイヌ民族は、住む場所を追われた。札幌の開拓が進みかつていたアイヌ民族は居住地を西の左股川(琴似発寒川)や石狩川と追いやられた。そしてそれらの行為はアイヌ民族の怒りに触れた。
アイヌ民族は信仰心の強い民族であり、すべてのものに神が宿る事を知っている。身勝手な開発を続ける者の身の回りに不幸が訪れた。
小別沢トンネルの改修工事を行った関係者が不審な死を遂げた有名な事件がある。それ以外にも、多くの不可解な事件が多発していた。
アイヌ民族の土地を奪った事実を知っていた者が、慌ててアイヌ民族を奉る祠を建てた。しかし、怒りはそれでは治らなかった。
札幌の西方向は強い負のパワースポットとなっている。
小別沢トンネルだけが、負のパワースポットでは無い。同じく札幌の西にある札幌を代表する心霊スポット呼ばれる、平和の滝も多くの自殺者を招いている。周囲一帯容易に近づくべきでは無い場所なのである。

好奇心旺盛な者への警告:影を求める代償
旧小別沢トンネルという場所に興味を抱く者たちへ、一つだけ伝えたい。それは、安易な忠告や禁止の言葉ではない。むしろ、恐怖を愛好する者たちの魂に直接響くような、ある種の「誘い」と「警告」の双方を孕んだもの。
旧小別沢トンネルに近づくということは、単に廃墟を訪れることとは訳が違う。それは、この土地に深く刻まれた悲しみと怒りの渦の中心に足を踏み入れることであり、壁の向こう側から、あるいは闇の奥底から発せられる囁きに耳を傾けることである。それは、見えざる者の視線にその身を晒し、肌で感じる圧迫感に耐えること。そして、もし不運であれば――あるいは、それを望むのであれば――何か歓迎されざるものを、その身に、その魂に纏わりつかせて持ち帰るリスクを冒すことでもある。








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