旧北海道炭礦汽船 幌内炭鉱変電所
旧北海道炭礦汽船 幌内炭鉱変電所。
北海道三笠市から夕張方向の山中に残る発電所跡。
幌内炭鉱は明治期の近代化から太平洋戦争後の復興期まで、縁の下で日本を支えた歴史的に重要な炭鉱の一つ。
石炭層の発見、採炭から輸送に至るまで機械化が進められ、日本の近代炭鉱の先駆け的存在であった。
炭鉱開発の主力を担ったのは北海道炭礦汽船(北炭)であり、本鉱の立坑は、海面下1,000mを越える日本最大規模であった。
1975年に大規模なガス突事故があり13名の犠牲者をだした。
幌内炭鉱変電所は1919年(大正8年)に夕張清水沢火力発電所からの北炭高圧送電線の開通に合わせ建設。
2階建・延床面積188㎡のRCレンガ造。
1989年(平成元年)の幌内炭鉱閉山まで稼働していた。
夕張から歌志内間約100kmの自家発送電線網の中間に位置し、20km離れた夕張清水沢火力発電所の電力を主に周辺炭鉱施設に供給していた。
平成19年に近代化産業遺産に認定。
現在は、三笠ジオパークの1つとして整備されており、公開日にのみ内部を見学可能。
幌内炭鉱変電所の内部公開日は年に10日間程度となっています。
外部に関してはいつでも見学は可能です。
幌内炭鉱変電所 外観
碍子(がいし)は電線とその支持物とのあいだを絶縁するために用いる器具。
多くは磁器を素材としているが、ガラス製のものもある。
超高圧交流送電線では、碍子を連ねて絶縁性を確保する。
碍子の独特な波状や円盤やカップを並べたような形状な理由は、碍子に雨や塩分や汚れなどが付着すると、その表面に沿い電流が漏れ、電気的破壊が起きやすくなるためで、できるだけ表面に沿った距離を稼いで絶縁性を保つためである。
カップ状になっているものは、雨などの状況でも片側を濡れにくくするためのものである。
幌内炭鉱変電所内 一階
炭鉱用携帯バッテリーランプは炭鉱の坑内で可燃性ガスの引火の危険のない安全な灯火具。
蓄電池式の防爆安全灯が使用されていた。
万が一ランプのガラスを破損させた場合には可燃性ガスに引火するのを防ぐため電球がスプリングで飛びだす構造になっている。
ランプ各部は炭鉱内で分解できない、されないように特殊キーを使用し組み立てられていた。
通使用後には地上にある充電台のマウントに設置し充電を行っていた。
大きな炭鉱では60人用や100人用の充電台が何基も安全灯室という部屋に設置されていた。
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