三井芦別炭鉱とは?
三井芦別炭鉱は「芦別五山」として知られる大手5炭鉱のひとつ。
芦別の鉱山には鉱区毎に複数の企業体が参入していた。
芦別五山と呼ばれ、三菱芦別炭鉱、三井芦別炭鉱、油谷鉱業、高根炭鉱、明治鉱業が存在した。
三井芦別炭鉱の歴史
三井芦別炭鉱は1939年(昭和14年)、三井鉱業所一抗が開坑。
全盛期には4500人あまりの従業員数がいた。
1992年(平成4年)閉山。
この三井芦別炭鉱事務所は1992年の三井芦別炭鉱の閉山まで使用されていたと思われる。
鉱山は常に危険と背中合わせ。
三井芦別炭鉱でも、1977年5月12日にガス爆発事故が発生し死者25人、重傷者8人の犠牲者を出した。
三井芦別炭鉱の事務所だったらしいが実際は、、、
北海道芦別市にあった、三井芦別炭鉱の事務所が現在も取り残されている。
正式には三井芦別炭鉱の第二坑の坑務所だったらしい。
ここは炭鉱事務所となっているが、実際に足を踏み入れると驚くべき事実が発見された。
場所は、三井芦別炭鉱の作業員の独身寮であった水明荘の近くである。
1階Aブロック 倉庫
広大な倉庫のようなスペース。
ダンボールが山積みになっている。
1階Bブロック ロッカールーム
1階の中央にあるブロック。
ここにはロッカーのほか、長靴などの衣料品などが散乱していた。
作業員の休憩室であったのかもしれない。
1階Cブロック 浴場
入った瞬間に、目を疑った。
事務所なのに浴室のようなスペースがあった。
状況からして、完全に浴室。
風呂椅子も風呂桶もある。
ここは入浴施設であったのだろうか?
それにしても広大な浴室。浴槽も3つもある。
浴室が分離されていた形跡が無く、男女別の入浴施設では無さそう。
2階 事務室
2階は壁が無くなっており大きな一つのスペースとなっていた。
OA機器や机などが残っており、どう見ても事務室である。
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